2026年06月22日

写真があると、一瞬で昔を思い出す 〜Obsidianと30年の日記〜

私のObsidianのVaultには30年分の日記データが入っている。

毎朝、Obsidianを起動し「過去の今日」を見返している。

1年前の今日。
5年前の今日。
10年前の今日。

同じ日付に、昔の自分が何を書いていたのかを見る。

これはObsidianのBasesを使って、過去の日記をリスト表示している。

日付で絞り込んで、同じ月日の日記を並べる。
ただそれだけなのに、これがけっこうおもしろい。

昔の自分が、今と同じようなことを考えていたりする。
逆に、すっかり忘れていたことを書いていたりもする。

30年近く日記を書いていると、同じ日付にもいろいろな自分がいる。

ただ、ひとつ物足りないところがあった。

写真が表示されない。

正確に言えば、写真のデータはある。
日記の本文の中には、写真へのリンクもあって、ちゃんと表示されている。

でも、「過去の今日」を一覧で見ているときには、写真が前に出てこない。
リストには日付やタイトルは並ぶけれど、写真は見えない。

それは仕方ないと思っていた。

ObsidianはDay Oneではない。
もともと日記専用アプリではない。
リスト表示に写真がでてこなくても仕方ない。

そんなふうに思っていた。

写真があると、一瞬で昔を思い出す。

Day Oneでは、日記のリストに写真が1枚表示されることが普通の機能だった。

写真があれば、文章を読む前に記憶がすぐに戻ってくる。

場所。
服装。
表情。
天気。
その日の空気。

「ああ、この日か」とすぐにわかる。

Obsidianに移したあと、もちろん文章は残っていた。
日付も残っていた。
検索もできる。
NASに置いて、自分で管理もできる。

でも、リスト表示に写真は見えない。

そんなとき、ふと思った。

本文の中にある最初の写真を、cover というプロパティに入れればいいのではないか。

そして、その cover をBasesのカードビューで表示すればいいのではないか。

試してみたら、うまくいった。

過去の日記の本文に入っている最初の写真を、自動で cover プロパティに入れる。
写真がある日記は、Basesのカードビューで表示する。
写真がない日記は、これまで通りテーブルビューで表示する。

やったこととしては、それだけ。

でも、見え方はかなり変わった。

今までは、過去の日記が文字のリストとして並んでいた。
それが、写真付きのカードとして見えるようになった。

これがとてもいい。

写真があるだけで、日記の入口が変わる。

文章を読みに行く前に、まず写真で引き込まれる。
昔の部屋。
旅行先の風景。
子どもたちの顔。
何気なく撮った食べ物。
たぶんそのときは、ただ撮っただけの写真。

でも、何年も経ってから見ると、その写真が一気に記憶を開いてくれる。

これは、思っていた以上に大きかった。

Obsidianが一段階以上、日記アプリに近づいた感じがする。

もちろん、Day Oneのような完成された気持ちよさとは違う。
Obsidianは、最初からきれいに日記を見せてくれるアプリではない。

でも、自分で仕組みを作れる。

プロパティを足す。
Basesで見え方を変える。
カードビューにする。
テーブルビューにする。
必要ならスクリプトで整える。

最初は少し無骨だと思っていたObsidianの自由さが、ここではすごく効いた。

写真がある日記はカードで見る。
写真がない日記は表で見る。

たったそれだけの分け方でも、見返す楽しさがずいぶん変わった。

写真がある日記は、記憶が一瞬で戻る。
写真がない日記は、言葉だけが残っている。
写真が撮れない状況だったんだなと推測することもできる。

どちらが良いということではない。
それぞれに違う良さがある。

一言だけのメモのような日記もある。
写真がなくても、そのときの気分だけが残っている日もある。
逆に、写真があることで、文章には書いていないことまで思い出す日もある。

日記は、書いたときにはただの記録かもしれない。
でも時間が経つと、別のものになる。

前回も書いたけれど、私のObsidianが面白くなってきた理由は、機能が多いからだけではない。

中に30年近い時間が入っているからだ。

Obsidianそのものがすごい、というより、そこに過去の日記が入り、写真が入り、毎朝見返す習慣とつながったことで、ただのメモアプリではなくなってきた。

機能だけなら、説明を聞いても「なるほど」で終わるかもしれない。

でも、そこに自分の時間が入ると、意味が変わる。

検索できること。
日付で並べられること。
写真を表示できること。
自分で管理できること。

それぞれは小さな機能かもしれない。
でも、30年分の日記の中で使うと、ただの機能ではなくなる。

昔の自分に会いに行くための入口になる。

写真も同じだ。

撮ったときには、ただの何気ない写真だったかもしれない。
でも何年も経ってから見ると、その日の空気を一気に連れてくる。

日記の文章が記憶の地図だとしたら、写真はその場所へ一瞬で戻るための扉のようなものかもしれない。

今回、Obsidianの中に写真の入口を作ったことで、毎朝の「過去の今日」がまた少し楽しくなった。

30年分の日記は、ただ保存しているだけではもったいない。
見返したくなる形にしておくことで、昔の自分がまた少し近くなる。

写真があると、一瞬で昔を思い出す。

そのことを、あらためて感じた。