最初はピンとこなかったObsidianが、今は最高だと思っている 〜Obsidianと30年の日記〜
Obsidianを初めて触ったとき、正直、それほどピンとこなかった。
世の中には「Obsidianがすごい」という記事がたくさんある。
Markdownで書ける。リンクでつながる。ローカルに保存できる。プラグインで拡張できる。
なるほど、便利そうではある。
でも、最初の私は少し冷めていた。
メモを書くならAppleのメモでもいい。
文章を書くならiA Writerのほうが気持ちいい。
ちょっとした記録なら、紙のメモ帳でもいい。
それに、Obsidianの見た目にも最初は少し戸惑った。
私はMacのアプリらしい、余白のあるミニマルなデザインが好きだ。
iA Writerのように、書くことだけに集中できる道具が好きだ。
その感覚からすると、Obsidianは少し無骨だった。
設定項目が多い。
サイドバーがある。
プラグインがある。
いろいろできるけれど、いろいろできすぎる。
どこかWindowsアプリっぽい雰囲気があるな、と思った。
しかも、Markdownにもそれほど興味がなかった。
Obsidianの記事ではよく「Markdownで書けること」が魅力として語られる。
でも私にとって、そこはあまり重要ではない。
見出しやリンクくらいは使う。
でも、Markdownを使いこなしたいわけではない。
私にとって大事なのは、# や [[ ]] ではなく、30年間自分が何を書いてたかだった。
今、私のObsidianには、30年近く書いてきた日記が入っている。
最初の日記システムは、HyperCardで自分で作った。
そのあとFileMakerに移し、さらにDay Oneを使い、今はObsidianとNASで管理している。
ここまで来て、ようやくわかった。
Obsidianは、何も入っていない状態で眺めても、それほど面白くない。
少なくとも私にはそうだった。
けれど、そこに時間が入ると変わる。
何年も前の日記。
昔の写真。
家族との記録。
仕事の断片。
旅行のメモ。
そのときには何気なく書いた一行。
そういうものが入ってくると、Obsidianはただのメモアプリではなくなる。
私の場合、Obsidianが面白くなったのは、機能を覚えたからではない。
30年分の日記を入れたからだ。
最近、その感覚がさらに強くなった。
過去の日記に入っている写真を、Obsidianのプロパティに cover として登録し、Basesのカードビューで見られるようにした。
これが思った以上によかった。
毎朝、私は「過去の今日」を見返している。
1年前の今日、5年前の今日、10年前の今日。
同じ日付に、昔の自分が何を書いていたのかを見る。
文章だけでもおもしろい。
でも写真があると、一瞬で昔を思い出す。
場所の感じ。
服装。
表情。
天気。
その日の空気。
文章を読む前に、記憶が立ち上がってくる。
Day Oneを使っていたときに好きだったのも、そこだったのだと思う。
日記と写真が一緒に出てくることで、記録がただの文字ではなくなる。
Obsidianに移したあと、文章は残っていた。
日付も残っていた。
検索もできた。
でも写真が見えにくいことで、どこか体温が下がっていたのかもしれない。
今回、写真が入口になったことで、Obsidianが一段階以上変わった。
ただの保管庫ではなくなった。
毎朝、開きたくなる場所になった。
そして、ここで初めて「これはObsidianだからいいのかもしれない」と思った。
Day Oneのような完成された日記アプリは、とても気持ちがいい。
Appleのメモも、iA Writerも、それぞれに美しさがある。
紙のメモ帳にも、紙のメモ帳にしかない良さがある。
でも、Obsidianには、自分で作っていける余地がある。
プロパティを足す。
Basesで見え方を変える。
写真のある日記だけカードビューにする。
写真のない日記はテーブルビューにする。
NASに置く。
自分でバックアップを考える。
必要ならスクリプトで整える。
最初は少し無骨に見えたその自由さが、今は逆にいい。
Obsidianは、最初から美しい部屋というより、少し倉庫や工具箱に近い。
でも使い続けるうちに、自分で棚を作り、照明をつけ、写真を飾っていく。
そして少しずつ、自分の工房のような場所になっていく。
私にとってObsidianは、そういう道具になってきた。
ただし、Obsidianでなければいけないとは思っていない。
病院の待合室で、隣に座った女性が小さなメモ帳にびっしり何かを書いていた。
それを見て、少し刺激された。
そうそう、紙でもいいんだよな、と思った。
ロルバーンでもいい。
モレスキンでもいい。
ロディアでもいい。
Appleのメモでもいい。
iA Writerでもいい。
使い込んでいる人の道具は強い。
新品の高機能なアプリより、角が丸まった小さなメモ帳のほうが、その人にとってはずっと大事な場所かもしれない。
道具の良さは、機能の数だけでは決まらない。
そこにどれだけ時間が染み込んでいるかで、見え方が変わる。
Obsidianも同じだと思う。
最初はピンとこなかった。
Markdownにも興味がなかった。
見た目も少し無骨だと思った。
でも、30年分の日記を入れた。
写真が見えるようにした。
毎朝「過去の今日」を見返すようになった。
自分で管理できる場所にした。
そうしたら、Obsidianは私にとって、ただのメモアプリではなくなった。
30年の記憶の保管場所が、ようやく今の自分に合う形にアップデートされたのかもしれない。
しかも、それを自分で管理できる。
これは、私にとってかなり大きい。
クラウドサービスに預ける便利さもある。
でも、自分の手元にあるフォルダとして日記が存在していること。
写真も一緒に保管できること。
NASに置いて、自分でバックアップを考えられること。
それは、ただ便利というだけではなく、安心に近い。
記憶の置き場所を、自分の手に取り戻した。
今のObsidianには、そんな感覚がある。
道具にこだわる。
でも、道具に縛られない。
紙でもいい。
Obsidianでもいい。
ただ、私にとって今のObsidianは、30年分の時間を受け止めてくれる場所になった。
最初はピンとこなかった道具が、使っているうちに「これだからいい」と思えるようになった。
