カードから石へ 〜Obsidianと30年の日記(5)〜
Obsidianと30年の日記について、何回かに分けて書いてきた。
Day Oneから書き出した日記データを、どうやってObsidianに移したのか。
写真をどう扱うのか。
過去の今日をどう見返すのか。
Basesで年齢を計算したり、日付ごとに記録を並べたりすること。
iPhoneやMac、NASやSyncを組み合わせて、自分なりの記録環境を整えていくこと。
そういうことを書いてきた。
今回は、いったんこのシリーズの締めとして、少し昔の話を書いてみたい。
私が最初に日記のようなものを作っていたのは、HyperCardだった。
HyperCardは、昔のMacにあったアプリケーションで、カードを重ねたような画面を作り、そこに文字やボタンを置いて、自分だけの小さなアプリのようなものを作ることができた。
今思い出しても、HyperCardという名前はかっこいい。
Hyper。
Card。
広がっていく感じと、手に取れる小さなカードの感じが、ひとつの名前の中に入っている。
私はそのHyperCardで、自分のための日記のようなスタックを作っていた。
日付ごとにカードがあり、そこにその日のことを書いていく。
必要ならボタンを置く。
別のカードに飛ぶ。
自分の記録を、自分で作った仕組みの中に置いていく。
今思うと、あれは単なる日記ではなく、自分のための道具を作っていたのだと思う。
その後、記録の場所はFileMakerに移った。
FileMakerも好きなアプリだった。
データベースでありながら、画面を自分でデザインできる。
入力しやすくしたり、見やすくしたり、印刷したときにきれいに見えるようにしたりできる。
仕事では今も、見積書や請求書をFileMakerで作っている。
自分の仕事の流れに合わせて、かなり気に入ったものを作っている。
売りたいくらいだと思うこともある。
HyperCardでカードを作り、FileMakerでデータベースを作り、Day Oneで日々を書き続けた。
道具は変わってきた。
でも、ずっと同じことをしていた気もする。
自分の記録を、自分の手で扱いたかったのだ。
ただ書くだけではなく、あとで見返せるようにしたい。
並べたい。
探したい。
つなげたい。
写真も一緒に置きたい。
その日の自分の年齢や、家族の年齢も見えるようにしたい。
仕事の記録や、日々の思いつきともつながるようにしたい。
以前は、こういう環境が欲しければ、自分でアプリを作るしかないと思っていた。
でも今は、Obsidianがある。
Obsidianは、最初に見たとき、少しとっつきにくいアプリに見えた。
万人向けの、きれいに整ったメモアプリというより、自分で考えて、自分で育てていく道具のような感じがした。
でも、そこがよかった。
Markdownで書ける。
ファイルは自分の手元にある。
リンクでつなげられる。
検索できる。
テンプレートを使える。
画像も扱える。
Basesで表のように並べたり、簡単な計算もできる。
iPhoneで作ったファイルが、SyncでMacにも届く。
メモと表計算。
記録とリンク。
日記と写真。
仕事と生活。
それらが、ひとつの場所に集まってきた。
FileMakerならできることもある。
NumbersやExcelが得意なこともある。
Notionが便利なこともある。
でも、毎日のメモの軽さと、少しだけ計算したいときの手軽さ。
そして、その記録がほかの記録と自然につながっていく感覚。
これはObsidianがとても強い。
今、私は走ったあと現地ですぐに、iPhoneのショートカットで距離と走った場所を選ぶ。
すると、自動でObsidianのVaultにファイルが作られる。
そのファイルはSyncでMacにも届く。
走る。
帰ってくる。
記録する。
あとで見返す。
とても小さなことだけれど、こういう流れが気持ちいい。
走っている時間は、記録から少し離れている。
でも、帰ってきたら、その体験を言葉にして残す。
スマホをずっと見ていたいわけではない。
でも、記録を捨てたいわけでもない。
この距離感が、今の自分には合っている。
HyperCardが今も動く環境があったとして、そこでまた昔のようにスタックを作ることも、きっと楽しいと思う。
でも、それは少し、過去の中に戻ることでもある。
大事なのは、昔の道具を懐かしむことではなく、その道具で感じていた楽しさや考え方を、今の道具の中で生かすことなのだと思う。
HyperCardの思想を、古いMacの中に閉じ込めるのではなく、Obsidianという今の道具の中で動かしてみる。
カードを作る。
リンクでつなげる。
入口を作る。
一覧で眺める。
必要なところだけ計算する。
自分の記録を、自分の手元に置く。
そう考えると、Obsidianはどこか、現代のHyperCardのようにも感じる。
もちろん同じものではない。
でも、自分のための小さな仕組みを作っていく感覚は、少し似ている。
私は勝手に、こういう使い方を「HyperObsidian」と呼んでもいいのではないかと思っている。
HyperCardのように考え、Obsidianの上で作る。
そこで生まれたノートのまとまりは、Obsidian Stackと呼びたくなる。
たぶん、わかる人はかなり限られる。
でも、それでいい。
これからの時代は、万人に広く届くものより、少ない人に深く刺さるもののほうが面白いのではないかと思っている。
自分のために作ったもの。
自分の違和感から始まったもの。
自分の記録を、自分の手で扱うためのもの。
そういうものの中に、次の時代のヒントがある気がしている。
HyperCardでカードをめくっていた頃から、ずいぶん時間が経った。
その間に、日記は増えた。
写真も増えた。
家族の時間も増えた。
仕事の記録も増えた。
走ることも始めた。
自分の考え方も、少しずつ変わってきた。
でも、変わらないものもある。
私は今も、自分の記録を、自分の手で扱いたいと思っている。
ただ保存するだけではなく、見返したい。
つなげたい。
そこから何かを見つけたい。
HyperCardのカードは、軽かった。
めくることができた。
並べることができた。
つなげることができた。
でも、カードは燃える。
破れる。
散らばる。
Obsidianという名前には、黒曜石という意味がある。
石は、簡単には燃えない。
簡単には破れない。
そこに刻まれたものは、長く残る。
もちろん、実際のObsidianのファイルは、ただのMarkdownのテキストファイルだ。
軽い。
小さい。
コピーもできる。
NASにも置ける。
バックアップもできる。
軽いのに、長く残せる。
この感じが、とてもいい。
昔、カードをめくっていた。
今は、石に刻んでいる。
30年の日記は、ようやく自分の手元に戻ってきた気がしている。
これで終わりではない。
むしろ、ここからまた始まる。
これからも、日々のことを書く。
走ったことを書く。
仕事のことを書く。
家族のことを書く。
思いついたことを書く。
忘れていたことを思い出す。
思い出したら、それもまた記録になる。
Obsidianと30年の日記。
いったんこのシリーズはここで締めるけれど、記録は続いていく。
カードから石へ。
そして、その石の上に、また明日のことを刻んでいく。
