2026年05月17日

日記を置く場所を、自分で作ってきた

私の日記、正確にはデジタルの日記は、30年以上前から続いている。

日記を書くことが好きだったのかどうかは、今もわからない。
でも、とにかく30年以上経っても続いている。

最初の日記アプリは、自分で作った。
HyperCardで日記スタックを作り、そこに日々の小さなできごとを記録していった。

今思えば、HyperCardは私の人生の中で一番好きなアプリだったと思う。

カードを作る。
ボタンを置く。
リンクする。
自分のための小さな仕組みを作る。

プログラムというほど大げさではないけれど、自分の考えた通りに画面が動き、自分の言葉を入れていく場所ができていく。
それがとても楽しかった。
日記を書くことよりも楽しかったかもしれない。

その後、HyperCardの日記データをFileMakerにインポートした。
FileMakerもまた、私にとって特別なアプリだった。
たぶん、人生で二番目に好きなアプリだと思う。
FileMakerは、何でもできるアプリだと思っている。

FileMakerでは、よりデータベースらしく日記を扱えるようになった。

日付で探す。
項目を作る。
表示を工夫する。
写真を保存する。
自分の記録を、自分の手で整理していく。

HyperCardもFileMakerも、今のように最初から完成された日記アプリではなかった。
自分で日記の仕組みを作らなければならなかった。

でも、それが楽しかった。
夜中まで、もくもくとプログラミングをした。

日記を書くことと、日記の場所を作ること。
記録することと、記録の仕組みを考えること。
その二つが、私の中ではずっとつながっていたのだと思う。

その後、日記はDay Oneへ移った。

Day Oneはとてもよくできた日記アプリだった。

写真を入れられる。
場所の記録も自動で残せる。
過去の今日を読み返せる。
日記を書く場所として、長い間、とても気に入って使っていた。

ただ、最近になって、また少し考え方が変わってきた。

30年以上続いてきた自分の記録を、これからどこに置いておくのか。
何十年分の日記や写真を、どう残していくのか。
いつか子どもたちに渡したいと思ったとき、それはちゃんと渡せる形になっているのか。

そういうことを考えるようになった。

そして今、日記はObsidianへ移行した。
写真やファイルは、NASに置くようになった。
Google Photoに預けていた写真も、自分の手元に戻した。

Google Photoからダウンロードした写真は、日付がうまく引き継がれないものもあったので、ローカル上で日付を直し、ファイルを整理し、過去の記録をもう一度並べ直している。

こう書くと、ただのデジタル環境の移行のように見えるかもしれない。

でも、私にとってはもう少し大きな意味がある。

それは、人生の記録を、自分の手元に戻す作業なのだと思う。

日記には日付がある。
写真にも日付がある。
その日付は、単なる管理情報ではなく、その日を確かに生きていたという小さな証拠のようなものだ。

だから、ファイルの日付を整理する作業は地味だけれど、私にはとても大切に感じられる。

写真が撮られた日。
日記を書いた日。
家族で出かけた日。
旅をした日。
何かを考えていた日。

それらが正しい場所に戻っていくと、自分の時間が少しずつ整っていくような気がする。

Obsidianは、今の私にとって、ただの日記アプリではない。
過去の日記、日々のメモ、仕事の記録、旅の記憶、写真のこと。
そうしたものを少しずつつなげていく場所になっている。

日記を読み返すのは、ちょっとした時間旅行だ。

しかも、きれいに順番どおり進む旅行ではない。
30年以上前に飛んだかと思えば、10年前に戻り、昨日の自分に会う。
子どもたちが小さかった頃の家の中に戻ったかと思えば、昔の仕事のことを思い出す。

時間の中を、ぐわんぐわん、あちこち飛んでいるような感覚になる。

それが楽しい。

子どもたちが小さかった頃の日記は、とくに大切だ。

沖縄へ行った。
北海道へ行った。
もちろん、そういう大きな出来事も残っている。

でも、今読み返して本当に胸に残るのは、もっと小さなことだったりする。

カタカナを教えたら、うまく書けなくて泣いた。
今日も疲れて、ミニバスの練習を休んだ。

そんな何気ない一言に、何十年も経った今、じわーっとくる。

その当時は、たぶん何の感動もなく書いていたのだと思う。
日常の中の、小さな出来事として。

でも、その小さな出来事は、書いておかなければ絶対に忘れてしまう。

大きな旅行や特別な行事は、写真にも記憶にも残りやすい。
けれど、子どもの小さな涙や、疲れて休んだ日のこと、家の中で交わした何気ない会話、そのときの空気感は、何も残さなければ静かに消えていく。

日記は、そういう小さな時間を少しだけ引き止めてくれる。

そして何十年も経ってから、思いがけないかたちで、今の自分に返してくれる。

過去の今日を読み返す。
昔の自分の言葉に出会う。
忘れていた出来事を思い出す。
そして、その記録が今の自分とつながる。
ときどき、未来のことまで考えている。

日記は、過去を保存するためだけのものではないのかもしれない。
今の自分が過去の自分に会いに行き、そこで見つけたものを、未来の自分へ手渡すための場所でもある。

HyperCardからFileMakerへ。
FileMakerからDay Oneへ。
Day OneからObsidianへ。
そして、クラウドからNASへ。

ずいぶん長い移動をしてきた。

でも、やっていることの根っこは、あまり変わっていない気がする。

自分の言葉を置く場所を作ること。
自分の時間をあとからたどれるようにすること。
日々の記録を、ただ流れていくものにしないこと。

それを、私はずっと続けてきたのだと思う。

過去の記録を整えることも、私にとってはひとつの移動なのかもしれない。

過去へ戻るのではなく、過去の中にまだ見ていなかった場所を見つけに行く。
昔の日記を読み返すことで、今の自分が少し変わる。
写真の日付を直すことで、時間の並びがもう一度意味を持ちはじめる。

過去の中にも、まだ見ぬ場所がある。

HyperCardで作った小さな日記スタックから、ObsidianとNASで育てている今のアーカイブまで。
形は変わってきたけれど、私はずっと、自分の記録を置く場所を作り続けてきた。

これからも、その作業は続いていくと思う。

日記を書く。
写真を残す。
読み返す。
つなげる。
そして、ときどき昔の自分に会いに行く。
未来の自分のために。

人生の記録を、自分の手元に戻す。

それは、効率化とは少し違う。
たぶん、自分の時間をもう一度引き受けることなのだと思う。

powderful合同会社
舘野光洋