人生の記録を、自分の手元に戻す
Google Photoをやめた。
Day Oneもやめた。
Obsidianを使いはじめて、NASを導入した。
こう書くと、ただのデジタル環境の話に見えるかもしれない。
でも、私にとってこれは、今年かなり大きな出来事だった。
長いあいだ、写真はGoogle Photoに預けていた。
日記はDay Oneに書いていた。
どちらも便利だったし、よくできたサービスだと思う。
ただ、ある時期から少しずつ気になりはじめた。
自分の写真や日記は、いったいどこにあるのだろう。
何十年分もの記録を、ずっと外部のサービスに預けたままでいいのだろうか。
いつか子どもたちに残したいと思ったとき、それはちゃんと渡せる形になっているのだろうか。
そんなことを考えるようになった。
写真には日付がある。
日記にも日付がある。
その日付は、ただの管理情報ではなく、自分がその日を生きていたという小さな証拠のようなものだと思う。
だから、ローカル上で写真やファイルの日付を修正する作業をした。
一見すると地味で、誰にも伝わりにくい作業だ。
でも私にとっては、かなり大切な時間だった。
ファイルの日付を整えることは、過去の記録を並べ直すことでもある。
写真が撮られた日。
日記を書いた日。
家族で出かけた日。
どこかへ移動した日。
何かを考えていた日。
それらが正しい場所に戻っていくと、自分の時間が少しずつ整理されていくような気がした。
Day Oneに書いてきた日記も、Obsidianへ移した。
Day Oneは、日記を書くための場所としてとても気に入っていた。
でも、これから先のことを考えたとき、もっと自由に、もっと自分の管理できる形で残したくなった。
Obsidianは、ただの日記アプリというより、自分の記録をつなげていく場所に近い。
過去の今日を読み返す。
日々のメモと、写真と、仕事の記録と、旅の記憶が少しずつつながっていく。
日記が、単なる保存場所ではなく、今の自分と過去の自分が行き来する場所になっていく。
そして、その置き場所としてNASを導入した。
クラウドを否定したいわけではない。
今でもクラウドは便利だし、これからも使うと思う。
ただ、人生の記録の中心を、もう一度自分の手元に戻したかった。
自分の写真。
自分の日記。
家族の記録。
仕事の記録。
これまで作ってきたもの。
これから残していきたいもの。
それらを、自分の管理できる場所に置いておきたいと思った。
NASを導入してから、写真や日記を見る感覚が少し変わった。
ただ保存しているのではなく、少しずつアーカイブを育てている感覚がある。
整理し、見直し、つなげ直し、ときどき過去の自分に会いに行く。
これは、効率化の話ではない。
むしろ、手間は増えたかもしれない。
でも、その手間がいいのだと思う。
自分の記録を、誰かのサービスにただ預けるのではなく、自分の手で少しずつ整えていく。
その作業の中で、忘れていたことを思い出す。
思い出したことで、それがまた今の自分の一部になる。
powderfulのキャッチコピーを、今はこう考えている。
人生の記録を整えることも、私にとってはひとつの移動なのだと思う。
Google Photoからローカルへ。
Day OneからObsidianへ。
クラウド中心の保存から、自分の手元にあるアーカイブへ。
ただ残すことから、読み返し、つなげ、次へ渡していくことへ。
記録の置き場所を変えることで、自分の過去との関係も少し変わっていく。
若いころは、遠くへ行くことばかり考えていた。
でも今は、過去の記録の中にも、まだ見ぬ場所があるような気がしている。
昔の写真。
何年も前の日記。
忘れていた家族の時間。
そのときは何気なく残した言葉。
そこには、今の自分がまだちゃんと見ていなかったものがある。
人生の記録を、自分の手元に戻す。
それは、単なるデータ整理ではなく、自分の時間をもう一度引き受けることなのかもしれない。
この作業は、まだ終わっていない。
たぶん、これからも少しずつ続いていく。
写真を整える。
日記を読み返す。
ファイルの日付を直す。
NASに保存する。
Obsidianでつなげる。
地味だけれど、今の自分にはとても大切な作業だ。
これからpowderfulのサイトにも、仕事のことだけでなく、こうした記録やアーカイブの話を書いていきたいと思っている。
何を作るか。
どこへ移動するか。
何を残すか。
その全部が、少しずつつながっている気がしている。
powderful合同会社
舘野光洋
