
ニセコで留守番をした2週間
2026年1月、ニセコで2週間ほど伯父さんの家の留守番をした。
留守番、と書くと少し地味に聞こえる。
でも私にとっては、人生の中でもかなり大きな出来事だった。
仕事で行ったわけではない。
観光をしたわけでもない。
誰かに会う予定がたくさんあったわけでもない。
ただ、そこにいた。
雪を見て、薪ストーブの火を見て、鳥に餌をあげて、コーヒーを飲んだ。
やったことを書けば、それくらいしかない。
でも、その「それくらい」の中に、今の自分に必要なものがずいぶん入っていた気がする。
朝起きて、外を見る。
雪が降っている。
薪ストーブの火をつける。
なかなか思うように火が育たない日もある。
空気を入れ、薪の置き方を変え、火の様子を見る。
薪ストーブは、思っていたよりも手がかかる。
放っておけば消えてしまう。
入れすぎれば強くなりすぎる。
急いでもだめで、忘れてもだめで、ただ火の機嫌を見ながら、少しずつ整えていく。
火を見ていると、自分の中の速度が少し落ちていくのがわかる。
普段は、どうしても何かをしようとしてしまう。
パソコンを開く。
スマホを見る。
次の仕事を考える。
何かを決めようとする。
でもニセコでは、決めなくても一日が進んでいった。
雪が降る。
鳥が来る。
火が燃える。
コーヒーを淹れる。
本を読む。
また雪を見る。
それだけで、時間がちゃんと流れていた。
ニセコには、自然しかない。
そう言ってしまうと少し乱暴だけれど、私が惹かれているのは、たぶんその「自然しかない」ところなのだと思う。
何かを急かされない。
何かを飾らなくてもいい。
外には雪があり、木があり、風があり、家の中には火がある。
その中にいると、自分がいろいろなものを抱えすぎていたことに気づく。
この2週間、どこかへ遠く移動したわけではない。
むしろ、ほとんどそこにいた。
でも不思議なことに、自分の中では少し遠くまで行ってきたような気がしている。
茨城とニセコを行き来すること。
これからのpowderfulのこと。
仕事と遊びをどこまで分けずにいられるか。
年齢を重ねながら、何を続け、何を手放していくのか。
はっきり答えを出したわけではない。
ただ、雪を見ながら、火を見ながら、そういうことが少しずつ自分の中を通っていった。
移動とは、場所を変えることだけではないのかもしれない。
同じ場所にじっとしていても、考え方が少し動くことがある。
いつもの自分から、少し離れることがある。
何もしない時間の中で、何かがゆっくり整っていくことがある。
ニセコでの留守番は、そんな時間だった。
今になって思うと、あの2週間は、powderfulをこれからどう育てていくかを考える前の、静かな準備期間だったのかもしれない。
何かを作る前に、まず火を見る。
何かを決める前に、まず雪を見る。
前に進む前に、少しだけ立ち止まる。
そういう時間が、今の自分には必要だった。
powderfulのキャッチコピーを、今はこう考えている。
まだ見ぬ場所へ、まだ見ぬかたちへ。
まだ見ぬ場所は、遠くの旅先だけではない。
雪の中の家にもある。
薪ストーブの前にもある。
鳥が来る窓辺にもある。
何もしないように見える時間の中にもある。
そして、まだ見ぬかたちは、急いで作るものではなく、こういう時間の中で、少しずつ見えてくるものなのかもしれない。
留守番をしていただけなのに、少し遠くまで行ってきた気がする。
2026年1月。
ニセコで過ごした2週間は、そんな時間だった。
powderful合同会社
舘野光洋

