
逆に歩く新たな視点
いつも走っているランニングコースを、今日は歩いた。
天気がよくて、気持ちがよかった。
走ろうと思えば走れたけど、今日は歩くことにした。
しかも、いつもとは逆回りに歩いた。
走るときは、だいたい決まった向きがある。
自分の中で、なんとなくそうなっている。
何年も同じ場所を走ったり歩いたりしていると、道そのものはよく知っているつもりになる。
でも、今日は逆に歩いた。
それだけで、景色がぜんぜん違って見えた。
同じコースなのに、初めて歩く場所みたいだった。
木の見え方も、水の見え方も、道の曲がり方も、いつもと少し違う。
世界が変わったわけではない。
コースは昨日と同じ場所にある。
変わったのは、自分の向きだけだった。
歩いていると、前から中学のときの先生が来た。
じつは、走っているときにも何度か見かけていた。
でも、走っていると声をかけるタイミングがなかった。
そのまま通り過ぎていた。
今日は歩いていた。
しかも、向こうから先生が歩いてきた。
それで、思いきって声をかけた。
約42年ぶりだった。
先生は、たぶん自分のことを覚えていなかったと思う。
それはそうだ。先生にとって生徒はたくさんいる。
こちらにとって先生はひとりでも、先生にとっての生徒は何百人、何千人もいる。
それでも、少し話ができた。
別れ際に先生が、
「立派になったねー」
と言ってくれた。
たぶん、見た目のことだと思う。
中学生だった自分しか知らない先生から見れば、57歳の自分は、まあ、それなりに大人に見えたのかもしれない。
でも、なんだかうれしかった。
先生の中では、自分は中学生のまま止まっているんだろう。
その先生に「立派になったね」と言われると、少し不思議な気持ちになる。
本当に立派になったかどうかは、よくわからない。
でも、42年前の先生にそう言われると、少しだけ、ちゃんと大人になったような気がした。
今日は、いつもと少しだけ違うことをした。
走らずに歩いた。
いつもと逆に歩いた。
声をかけてみた。
それだけのことだった。
でも、その少しのずれで、いつもの景色が違って見えた。
42年ぶりに先生と話すこともできた。
世界が変わったわけではない。
少しずれたのは、自分のほうだった。
同じ場所でも、自分が少しずれると、見え方が変わる。
見え方が変わると、起こることも少し変わる。
大きく変わらなくてもいいのかもしれない。
いつもの道を、逆に歩く。
走るところを、歩いてみる。
声をかけないところで、声をかけてみる。
そのくらいのことで、世界は少し違って見える。
これからは、少しずらして行動してみようと思う。
少しだけ。
そのほうが、なんだかおもしろそうだ。

