2026年06月17日

紙でもいい。Obsidianでもいい。

30年以上続いている日記を、いろいろな場所に移してきた。

最初はHyperCard。
次にFileMaker。
それからDay One。
今はObsidianとNAS。

こう書くと、なんだか新しい道具を追いかけている人みたいだけれど、たぶんそういうことではない。

自分の記憶を置く場所を、少しずつ作り直してきたのだと思う。

最近、Obsidianの過去日記の一覧に、写真を表示できるようにした。
毎朝見ている「過去の今日」に、写真が一枚出る。

それだけのことなのに、かなり違う。

文字を読むと、思い出す。
写真を見ると、あの頃にすぐに戻る。

子どもが小さかった頃の顔。
旅先の空。
昔の家の中。
なんでもない夕方。

一枚の写真で、その日の空気がふっと戻ってくる。

便利だな、と思う。

少し前、病院の待合室で、小さなメモ帳にびっしり何かを書いている女性を見た。

いいな、と思った。

紙でもいいんだよな。

ロディアでもいい。
ロルバーンでもいい。
モレスキンでもいい。
Appleメモでもいい。
iA Writerでもいい。
Obsidianでもいい。
なんなら、冷蔵庫の付せんでもいい。

どれでもいい。

いや、どれでもいいと言いながら、私はかなり道具にうるさい。
アプリの見た目も気になる。
余白も気になる。
フォントも気になる。

めんどうな人間である。

Obsidianも、最初はあまり好きな見た目ではなかった。
少しWindowsアプリっぽいな、と思った。
iA Writerみたいな、静かで整った感じとは違う。

でも、使っているうちに変わってきた。

30年以上の日記が入った。
写真がつながった。
NASに置いたデータとつながった。
毎朝、過去の今日を見返すようになった。

そうしているうちに、Obsidianは少しずつ、自分の場所になってきた。

最初からきれいな部屋ではない。
どちらかというと、工房に近い。

棚を作る。
箱を置く。
ラベルを貼る。
古いものを運び込む。
写真を貼る。
日付で並べる。
リンクでつなげる。

少しずつ、自分の手になじんでくる。

道具って、そういうものなのかもしれない。

使い込まれた道具には、時間が染み込んでいる。

角が丸くなったノート。
手の跡がついたペン。
何度も開いたアプリ。
自分で作った日記データベース。
毎朝開くObsidian。

そこには、機能だけではないものがある。

書いた時間。
迷った時間。
読み返した時間。
消さずに残してきた時間。

そういうものが、少しずつ道具に入っていく。

紙でもいい。
Obsidianでもいい。
NASでもいい。
小さなメモ帳でもいい。

道具にはこだわる。
でも、道具に縛られない。

大事なのは、そこに自分の時間を置いておけること。
あとから戻ってこられること。

30年以上、道具は何度も変わった。

でも、やっていることは、あまり変わっていない気がする。

今日のことを少しだけ残す。
昔の自分に会いに行く。
未来の自分のために、記憶を置く場所を作っておく。

紙でもいい。
Obsidianでもいい。

でも、今はObsidianを一日中見ている。